タヴォラアミーカの物語
racconto di tavola amica
racconto di tavola amica
racconto di tavola amica
40年ほど前、国費で受け入れていたローマのホテル学校エナルクでは最後の日本人となった当シェフ。周りのガキンチョの生徒たちにもみくちゃにされながら、和気あいあいと日本とは異なる生活時間、空間を体験する。
その後トレヴィゾで大家族の長の家に滞在し、農業を手伝いながら数件のレストランで修行を重ねつつ、休みの度に親族たちから家に呼ばれ、おばあちゃん料理、家庭の土間料理を学んだり、結婚式、洗礼の他、大掛かりなパーティーにも参加。集まることが大好きなイタリアを実感する。
また、伝手でフィレンツェ、ボローニャ、ジェノバ等にも足を伸ばして各地の特色ある料理を学んだりと、なかなかできない経験が今につながっている。
家庭滞在したトレビゾは、イタリアでは食の街と呼ばれている。共和国時代、貴族でも大金持ちでもベネチア内で土地を広げる事はできないため、今なら北へ列車で30分ほどのトレヴィゾへ続く街道の両側に多くの別荘が建てられた。ベネチア共和国の味を今に伝える食の街とされている。この辺はイタリアの食材としてよく浮かぶオリーブオイル、ニンニク、トマトソースを使う比率がかなり低い。家庭でもレストランでもパスタよりリゾットが主体となり、味付けもやさしくなるため、グレープシードオイル、バターを使った調理となる。野菜や牛乳で煮込んだ料理、各村の地名がつけられる野菜、調理法も多い。一般のイメージとは異なるが、榮楽亭の味の根幹となっている。
2本の川と堀に囲まれ、街中に水路が巡る美しい街トレヴィゾはティラミス発祥の地でもある。榮楽亭3代目は神父と共に街の入り口にある修道院に泊まり込み、拠点として街を散策、家庭にも招かれてレシピを教わっている。ティラミスを名古屋で出し始めたのは4代目が中学生の頃。ほぼ現地の味を再現しようと工夫されたティラミスは、榮楽亭唯一のデザートとして特に女性から大変喜ばれた。日本中でブームが起こったのはそれから10年以上経っていたので、顧客からはなんで今さらと言う声が多く上がったものだ。現在は家庭、専門店、レストランで学んだ中からこれと選んだ味のティラミスを、季節のパンナコッタ、ジェラートと盛り合わせて提供している。